4つの柱

竣工年 2015
所在地 東京都世田谷区
主要用途 住宅
延床面積 101.19m2
主要構造 木造


形式による倉型の住空間

都市と敷地
これは私たちが設計した7年ぶりの住宅である。場所は都心から電車で数十分程度の、大きな川の近くにある。もともとは農地や工場などが散在していたが、近年急速に宅地化が進み、いくつものミニ開発が地域の調和なく行なわれている。このため、周辺には郊外庭付き一戸建て住宅のミニチュア版が建ち並び、都心でも郊外でもない現代都市の典型のような風景が広がっている。 敷地は建築と駐車場を確保すると、庭はつくれないくらいの広さである。法規上最大限の床面積を確保するために、単純な矩形平面の3階建て、建設費から木造という条件が自動的に決まった。都市にある住宅では、3階建てになると高い防火性と耐震性が求められる。このため、木造でつくる場合は防火被覆や燃え代設計などの対策が必要である。しかし、ここでは木造でも外壁耐火構造を可能とする最新の告示861号を用い、外壁に防火性と耐震性を担保させることによって、内部空間の大らかさを確保している。

倉と形式
この外壁は、どうしても倉のように厚く、開口部が小さいものになる。それは、現代の都市に住むための性能がかたちになったものといえるだろう。近世の日本には、その高い防火性や耐震性を生かして、「住居蔵」と呼ばれる倉に住む地域が全国的に見られたという。川越の街並みや山形にある柏倉家の蔵座敷などは、現代に残る優れた事例である。塊的な造形によって周辺に存在感を与え、内部には緊張感のある美しい空間が包まれ、その内外を小さな、しかし美しい光が繋いでいる。ここに現代の住空間の新しい可能性がある。これは、放埓な現代の都市に住まうための、民家型や町屋型の大開口や半屋外空間だけではない、〈倉型〉の住空間の提案である。倉型の住空間には何があるべきであろうか。いつの時代にも住空間には豊かな日常を生み出す融通性や大らかさが必要だ。では、現代の住空間に失われたものは何であろうか。それは形式による空間の緊張感である。中世の書院造り以降、日本の住空間には形式がない。数寄屋は個人的感性の集積であり、戦後のnLDKは空間を目指していない。

柱の空間
この相反するふたつの性質を得るために、甲州地方の古い架構である「四つ建て」がイメージの原型とされた。4本の柱が櫓のように組まれた架構は、日本の住空間が竪穴式から中世民家へと発展する途中の形式とされ、屋根を支える象徴的な構造でありながら、間仕切壁や家具配置など日常生活の手がかりとなっている。この住宅の平面計画は、4本の柱が1辺2,730mmの正方形で平面の中心に配置されているだけといってよい。柱による正方形の空間という形式性によって、阿弥陀堂のような緊張感が生まれている。この柱は、75mm角の木材が4本束ねられているため、間仕切壁や家具をとり付けることができる隙間があり、さまざまな使い方の変化に対応することが可能だ。こうして、構造の架構は象徴から生活へと溶解していく。もちろん、梁や根太の高さを抑え、各階の気積を大きくする機能的な役割も担っている。垂直材と水平材の接合部はすべてボルトやビスで留められ、完成してもなおつくり続けられているような組み立て感をもつ。この単純な構成ゆえに、柱の間隔や通常よりもはるかに小さい部材サイズについて、慎重なスタディが重ねられた。現場では、つくり込み過ぎない即物性と、粗雑に過ぎない丁寧さを均衡させる瞬間の見極めが、建主、施工者とともに行なわれた。

歴史と技術
私たちの建築には、その根底に歴史と技術への好奇心がある。それらに近付いて必要なものをとりだし、オーバーホールして現代に再利用する。それはシンプルで当たり前のことだ。だからこそ、その手さばきに意味がある。この住宅では、柱によって規定される正方形の空間という形式を、破壊せずにどこまでデフォルメできるかが最も重要であった。複数階のために空間が床によって分断されてしまうことは、都市型建築の宿命であろう。ル・コルビジユエ以来、吹抜けなどによる空間の立体化はそれを解決する唯一の手段であった。しかし、この住宅では形式による空間の全体性の獲得が試みられている。形式や歴史、技術のような普遍的な営みの面白さを、建築としてつくっていきたい。それは、後ろを見ながら前へ進むボートを漕ぐように、歴史を見ながら未来へ進むことになるだろう。